昔も今も漢方は効く / 石川 友章先生
昔も今も漢方は効く
以前、元厚生省事務次官で、医療保険審議会のメンバーでもある甲田氏の発言、「漢方や胃腸薬など薬店で購入するバランスを考えてOTC類似薬を給付除外にすることも一つの方策、と提案する」を日刊薬業紙が報道したことに端を発し、医療保険審議会の建議書の中に、「一般用医薬品類似医薬品の給付除外を含めて薬剤給付のあり方を見直す。」という意見として現れてきた。
普通の人にはこの内容で漢方薬が医療保険から全くお金が出なくなる、即ち全額患者負担になるとは実感出来ない文章である。
しかし厚生省サイドは一般用医薬品類似医薬品の中には当然漢方薬が含まれるという見解であるが、明確に漢方薬を名指ししてはいない。
従って具体性に欠けるため反対運動がやり憎いという面がある。しかしこれが実現すると日本東洋医学会としては大変大きな問題になるので、佐藤常務理事を委員長とする保険問題特別委員会を組織して、対策に当たっている。
時を同じくして月刊「文芸春秋」で新連載成人病の嘘、漢方は本当に効くのかと言う漢方叩きの論文が掲載された。読んでみると多くの間違いが見られる。これでは漢方が誤解されたままになってしまうので、早速著者と連絡を取り、反論のための機会を与えて欲しい由を申し出て、了承された。そこで座談会が企画され、東京女子医大の佐藤先生と小生が参加した。
この種のもので最近気になるのは、西洋医学と東洋医学とを対峙して論を進めるあたり、常識のように抗菌薬が発見される以前の医学は何故か両方とも進歩していない又は同程度の物と言う前提条件に立っている。
MEDICINEの邦訳である小川鼎三監訳「図説医学の歴史」の中で「19世紀 現代医学の始まり」の章でもまたそれ以前でも漢方の記載は殆どなく「古代中国」の所に出てくるのみである。従って東洋医学はその辺から進歩していない。と言う考え方になるようだ。
進歩していない漢方に比べれば、古代医学を近代医学とした消毒法、麻酔法、止血法という画期的な発明を遂げた西洋医学の方が当然進んでいるのが当たり前である。
しかも抗菌剤606号から最近に至る抗生物質の開発進歩は並大抵のものではない。進歩のない漢方を信じるなんてナンセンスな事で、効果も余り無い物を信じるのは医者も患者も漢方教の信者に過ぎない。
信ずればどんな物でも良く見える。という論調である。
疫病との戦いは洋の東西を問わず人類の課題であったし、現在でも大きな問題を抱えている。
江戸時代に「ころり」という流行病(はやりやまい)があった。これはご存じの如く、今で言うコレラである。わが国におけるコレラの発生は宗田 一著「日本医療文化史」に拠れば文政5年、1822年8月が最初であった。
1817年インダス河流域から国外に伝搬し中国、朝鮮半島を経て下関に入ったとされ、東進して箱根の山を越えることなく終焉したとのことである。
ヨーロッパでも上記のコレラが流行し、1854年になっても、ロンドンでは1万4千人のコレラ患者が発生し、618人死んでいる。死亡率は約4.4%である。本当にこれだけか資料で検討していないので不明であるが、少なすぎるように思える。(「図説医学の歴史」による。)
日本では第一次のコレラ流行から36年後の安政5年1858年に第二次のコレラ流行が起こった。これは米艦ミシシッピー号が清国から長崎に入港し、同号のコレラ患者が長崎にコレラを流行らせたのである。これが東進して、28万人の死者を出している。
安政5年の長崎の人口は約6万人、コレラ患者1583人、その内訳は日本人982人、オランダ人601人で、治癒した者はそれぞれ436人と380人であったと記されている。日本人の死亡率は約55.6%、オランダ人の死亡率は、約36.8%であった。
この時の長崎海軍伝習所の医官はオランダ医ポンぺであった。ポンぺは、コレラの予防のため生の魚や野菜等の食事を禁止した。ついで長崎奉行所に衛生行政の重要性を説き、病院の設立を要請し、長崎養生所が出来た。この時ポンぺの治療法はキニーネと阿片の投与が主となり、温湯やブドー酒を投与していた。ここで見られる死亡率の違いは恐らく食生活の違いによる体力の差かとも思われるが約20%の差が見られる。
明治時代にも矢張りコレラが流行り、明治12年1879年の石川県史にはこの時の記録にコレラ患者総数29808名の内、死亡者は21044名に達したと書かれている。
因に漢方医佐々木秀三郎の患者は136名中、死者は18名であった。これを死亡率で現すと西洋医療は70.9%、漢方医療は13.2%となる。
この臨床経験を基に佐々木秀三郎は「暴疫治略」なる書を認めたと「漢方の臨床」誌の浅田宗伯生誕175年記念号に多留淳文先生が書いておられる。
あれ数字が逆ではないのか?という感じを抱かれる方が多いと思うが計算上ではそうなる。
安政5年から25年しか経っていないので、恐らく漢方にしろ西洋医学にしろ治療法は驚くほどの進歩は見られていないと思う。当然抗生物質なる代物はない時代の話である。
史実からみると世間で喧伝しているような漢方は効かないのではなく、決して治療法として劣ったモノではなく実は寧ろ優れたものである事が分かる。
漢方の原典として用いられる「傷寒論」は、元々熱性の急性感染症、特にチフスの治療法を述べた本である。著者張仲景の一族は200余名いたが、チフスのため10年間に2/3の死者を出した。
そこで熱性の急性感染症の治療法を集めて書にしたと序にある。
今ならそのような逆転はあり得ないとおっしゃる方もあろうかと思うが、1970年以降にアメリカで流行った在郷軍人病は激症肺炎とも言われるもので、最近では慶応大学病院で発症例がみられたが、この在郷軍人病はレジオネラ ニューモフィラという細菌が原因で、急激な経過をとり、死亡率は50−60%と言われ、軽い気管支炎症状で始まり、激症の肺炎になる。
特に日本の医師が好んで感冒の二次感染予防に用いるPCs,CPs系、の薬剤は何の役にも立たず、アミノ配糖体系も無効である。
有効なのはEM,RFPと言った薬剤で、それでも死亡率は20%弱である。しかもパターン化された薬剤選択の思考の中では出てき辛い薬剤である。
西洋医学の中で最先端を行っている化学療法においても難治なモノが増えてきている。特に糖尿病、肝硬変症、膠原病、AIDS等々のcompromised hostの増加は新しい感染症を誘発し、治療を困難にしている。
感染症の治療はhost-parasiteの関係を十分知ることにある。当に漢方が示していることは、hostの状態を十分に把握する事が如何に大切であるという医療の原点的な意味であると思われる。
parasite と薬剤との研究だけでは閉息してしまう医療状況を打開していくのがこれからの漢方に課せられた道であろうと考えている。