漢方の歴史 / 古田 誠先生

漢方の歴史

秦の始皇帝よりも少し前の周という時代「周礼」という政治制度により食医(食事療法医)・疾医(内科)・瘍医(外科)・獣医の 4 つの区分 が既になされておりました。

項羽に勝利した劉邦によって建てられた前漢の王朝時代(前202~後8)に、現存する最古の医学書である『黄帝内経』が著され、人体の解剖・生理・病理などの基礎医学的知識や養生法、鍼灸療法が記載されました。

中国の薬物学は本草といわれており、現存する最古の本草書である『神農本草経』は後漢の王朝時代(25~220)に成立したとされております。

その最大の特徴は薬物の分類法で西洋の博物学としての形態学的な分類とは異なり、その薬物が人体に与える影響を分類して上・中・下薬365品目に分かれており、上薬は命を養い無毒で長期服用に耐え、中薬は性を養い使用法しだいでは有毒にも無毒にもなり、下薬は病を治し有毒なので必要以外には使用してはならないというものでした。

後漢末の西暦200年頃、長沙の太守をしていたといわれる張仲景が『傷寒雑病論』という本を著わし、これは現在伝えられている『傷寒論』『金匱要略』の原型となっております。

『傷寒論』は黄帝内経の様な医学理論書とは異なり、傷寒と呼ばれた熱性伝染病の治療を臨床経過を追って詳細に論じた実践治療学書であり、葛根湯(かっこんとう)や麻黄湯(まおうとう)、小柴胡湯(しょうさいことう)等の処方が記載されております。続きはログインしてください。

 


ページ上部へ戻る